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そよそよ族ノート

備忘録的に観劇記録を書きます

#6 三野新『Prepared for FILM』についていまさら書きました。(加筆済)

SNACパフォーマンスシリーズ2014 vol.1
Arata Mino's Performing Arts Exhibition vol.2
『Prepared for FILM』
@SNAC
2014.4.24~27
 
※一部事実と異なる記載があったために加筆訂正しました。すみません。

 

◎「上演」と、次なる「上演」の間に

 およそ三か月前、清澄白河にあるSNACにて行われたパフォーマンスについて、今更ながら書き起こしたものをまとめてみた。そのパフォーマンスの作品名は『Prepared for FILM』という。『film』(1965年初上映※)というサミュエル・ベケットの映像作品(またはそのシナリオ)を扱ったものであり、その『film』を上映したいと考え、「準備」をする人にあてたもの、として制作されたらしい。この作品は『film』のシナリオが読まれることで進展していくために、朗読劇と言ってもいいスタイルを持っている。そして、『film』が持つある特殊なルールをも継承している。よって、まず『film』の設定を理解する必要があるだろう(以下では映画『film』についての設定を語るが、それはシナリオと共通のものだと思ってもらっていい)。

 『film』に主に登場するのはO(object)とE(eye)である。映像の画面は基本的にEの視界として映し出されるため、Eの姿は一部の場面を除いて画面上には現れない。Eはバスター・キートンが演じるOを追う。対してOは、常に追ってくる存在であるEから逃げようとする。Oが追ってくるEの存在に気付く(存在を知覚する)のは、Oの背後から角度 45度以上にEがはみ出してしまった場合である。OはEの存在に気が付くと、苦しみを味わう。というのも、実はEというのはほかならぬO自身の知覚なのである。自分で自分を知覚することによって、「己が存在すること」から逃げられぬ運命にOは苦しむのだ。以上が『film』の設定である。この映画は、Eが Oを追い詰めたところで終わる。次に、『film』のルールを継承した、『Prepared for FILM』のルールについて述べる。

 『Prepared for FILM』において、Oとされるであろう立場の人物は二人。男女(立川貴一、菊川恵里佳)が設定されている。そしてEであろうものとして登場してくるのは、腕にゴープロ(小型カメラ)を付けた男(京極朋彦)である。Eである男――カメラアイ――は主にOである女の背後に立ち、映像を撮り続ける。カメラアイが撮る映像は、舞台右奥の壁にリアルタイムで映し出される。厄介なのは、この作品では常にカメラアイによって見られる存在である男女が、「二人で」『film』の朗読を行う部分だ。2人の中でOという役割、Eという役割が分化していると思われるシーンも見受けられる――双方がOであるかのように思われたのに。本作品の公演フライヤーにあるように、構成・演出の三野新は「片思いをしている相手に対して見つめてしまう感覚」として視線という問題を扱っている。男女二人は、時に男が女を見つめるという形で、知覚する/されるの関係性を築いているのだ。

 作品の導入部では、挙動不審な男、立川が、これから『film』の上演をはじめる旨を観客に伝える。最終日のアフタートーク(文字起こしされたものはこちら)によると、ここのセリフはアドリブであったらしいが、それと挙動があいまってかなり緊張感の無い雰囲気を与える。そしてこの文の第二段落で述べたような『film』の説明が、女を交えてなされていく。それから、『film』の朗読がはじまるといった流れだ。会場であるSNACの壁には写真(『film』のキャプチャ、あるいは登場する動物や小道具のもの)、そして『film』のシナリオが印刷された紙の断片、両方が散らして貼ってある。基本的に『Prepared for FILM』の朗読で読まれるのは、その貼ってある(一部は床に捨て置かれている)シナリオだ。特徴的と言えるのは、そのシナリオが読まれるのと同時に文字情報としてカメラアイに映されるところである。場合にもよるが、基本的にはカメラで文字が映され、それから声に出して読まれるという一連の流れができているようだ。そして、読まれた内容に沿った動きを男女が演じていく。ここにおいて、『film』は文字として、音声として、また動きによって形を持っていく。

 朗読がシナリオに沿って終わりを迎えるときには、男女、そしてカメラアイであった男は楽屋の方へはけている状態となっている。明かりが落ち、これで公演は終わりかと思われる頃、カメラアイの男が再び舞台上に現れる。舞台右奥にはカメラアイが朗読の間撮り続けていた映像が、早送りで映し出されている。カメラアイの男はその速さに合わせるように、高速で自分が動いた軌跡をたどる。例えば女の背後にへばりつく動作だったり、テキストを映す動作だったり……たった一人で朗読のおさらいを行っていくのだ。上演に含まれる文字、写真、動きなどの数々の情報がただひとつのカメラアイに強引にまとめられたように、圧縮された朗読劇の『film』が高速の動き――ダンスとして再現されていく。

 これは「準備」の作業なのだろうか。最後のダンスシーン以前までは、『film』が「準備」されるのではなく「上演」されていると言える。原案の『film』とはまた別の、三野による演出が加えられた朗読劇――仮にここでは〈film〉と表記しよう――が『Prepared for FILM』の劇中劇のように存在している。そして、その〈film〉がカメラアイに記録(記憶)されている様が一気に表出するのが最後のダンスシーンであったと言えるだろうか。

少し触れておきたいのは、〈film〉の最後、EがOを追いつめる場面になると、朗読を行っていた二人が舞台上からはけて、姿をみせずに(カメラアイの映像には映っている)マイクを通して朗読を行うところだ。観客の背後に設置されている左右のスピーカーから、出る音量が細かく調整される。私はかねてからこの音声がずっと録音だと勘違いをしていたために(というのも、これまでの作品、『あたまのうしろ』(2012)『Z/G』(2013)において録音が多用されていたのが印象的だったのだ)、音声が視覚情報と切り離されて補完されている様を思い浮かべていた。事実、ダンスシーンでは一切も音声が使われていなかったことからも、カメラアイに記録(記憶)されていたのは純粋な「視覚」の情報だったとは予測できる。ただ、これまでの作品と比べて、音声の取り扱い方、もしくはウェイトは変わってきている。今後の作品において、そのあたりがどう変遷していくのかは気になるところだ。

 かくしてカメラアイ――京極朋彦の身体――は〈film〉の視覚情報記録デバイスとなっていた。身体に記録(記憶)された情報から、彼一人がいれば〈film〉を原案とした上映/上演がいつでもどこでも可能な気さえしてくる(具体的な方法はわからないが)。ただ、ここで彼の身体に記録(記憶)されているのは、あくまでも〈film〉の情報である。加えて、一つのカメラアイの「視線」に情報はまとめられている。このカメラアイは、原案である『film』の上映/上演の「準備」としてのデバイスとは成りえないのだ。また、上演を振り返って見ると、〈film〉で『film』の映画のキャプチャが多用されていたことが気がかりである。印刷された『film』のキャプチャ画像が小道具の一つとして登場するのだが、それと同時に〈film〉上演のために新たに撮影された写真も使用される。『film』の一部の要素に、現在行われている〈film〉の新しい情報が加えられていっているのだ。思えば使われていた『film』のシナリオも、読まれた後はビリビリに破られていたりもした(毎公演準備や掃除が大変そうだ)。〈film〉は『film』を侵食し、更新するというような形で上演されている。原案を持つ作品すべてに言えることかもしれないが、次なる上演というものは常に原案のアップデート版となるのである――〈film〉を観るとそのことがよく理解できる。『film』から〈film〉へ。そしてデバイスに記録された〈film〉があることで、さらにその先に新しい『film』が誕生していく可能性さえ見える。『Prepared for FILM』とは、原案作品と、次なる上映/上演の間に一段階階層を設けるという、極めて特異な作業であったのだ。

 ただ、〈film〉記録デバイスである京極が生身の肉体を持つこと、そしてこの物語のはじまりが「片思い」であったことを忘れてはならない。人間的、または人間が抱く感情からこのデバイスを生み出す作業ははじまっているのだ。人間という材料から記録デバイスが生まれること自体かなり驚きであるし、私がこの作品にもっとも興奮した要素ではある。ただ、「視線」を「片思い」と捉え、さらなる純化した「視線」に変質させていく作者、三野の恋愛観とは一体……という気持ちが湧かないでもない。と、同時に、写真家である彼が撮影したものを見てみたいとも思う。この作品は、次なる『film』のための準備であると同時に、「視線」の装置として、写真を撮るための何かしらの機能になってはいないだろうか?

 

※『film』の映画はこちらのサイトで見ることが可能です→http://www.dailymotion.com/video/x8ug5n_film-beckett-pe-culmile-disperarii_webcam