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#11壁ノ花団『水いらずの星』の内容と感想

観劇日:2016年8月28日 15:00の回

 

 

※ネタバレばかりです

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 劇作は松田正隆、演出は水沼健の、『水いらずの星』は、2000年にも上演された作品らしい。私は今回はじめて、こまばアゴラ劇場にて本作を観た。

 

 舞台上には出入り口らしいオブジェのような塊、天井の方には斜めに大きな窓が設置してある。出入り口の横にはなぜか非常ランプが取り付けてある。外では雨が降っているらしく、窓に雨粒が当たる音がしている。中央には小さな座卓。雨のせいか全体的に暗く、時間帯が想像できない。ぼうっと何も無い一室が浮かび上がるように照明が当てられる。

 出入り口から30〜40代くらいの女が入ってくる。その格好から、水商売を生業にしているということがわかる。次いで朴訥とした男が入ってくる。二人とも雨に降られたために、体をタオルで拭いている。二人の会話から、彼らがもともと夫婦であり、この暗い空間が、女の今の自宅であることがわかる。

 彼らは数年ぶりに再会したようだ。かつて女は浮気の果てに逃亡、今はこの、四国(香川だったか)にあるアパートで一人暮らをしている。訪ねてきた男——夫に、なぜ場所を突き止めて会いに来たのかと女が問う。対して男は、自分の余命があとわずかであることを打ち明ける。この事実にまともに反応してくれるのが、元(といっても、離婚届は出していないのだが)妻なのではないかと思い、知り合い伝いに、女が働いている店を知ったのだという。

 能天気な調子でしゃべる男に、女は困惑しながらも、彼女が家を出てから経験してきたことを男に話す。その内容は壮絶なものである。新しくできた男と逃げた女であったが、その男の叔父(伯父?)に彼女は襲われる。新しい男はしかし、叔父に仕事をもらっているがために、そのことをなんでもないように扱う。女は、抱かれた時に「お前」と呼ばれたことをトラウマとして抱え、今訪ねてきている夫にも、「お前と呼ぶな!」とほとんど理性の無い状態でほえ付く。

 叔父の子を妊娠した女は、新しい男とも対立し、顔にひどい傷を負う。片目を残し包帯ぐるぐる巻きの姿で、叔父の奥さんに薬を盛られ、病院で便と一緒に赤子を流す。怪我を負った顔はほとんどを手術し、片目以外が「つくりもの」であるという。そんな過去の話は女の口から、最初は淡々と、徐々にひどい苦しみを伴って吐き出される。

 夫はぼんやりとその話を聞いているようであるが、義眼を見せびらかし躙り寄る妻には強く抵抗する。落ち着き、一定の距離を置いたふたりはまた淡々と日常の話を開始する。それは、夫が撮っている写真の話や、妻に渡そうとした「自分のいた証拠」となる物品の数々のこと、また、夫が実は超能力を持っている、という馬鹿げた話にまでのぼる。

 夫と日常会話をする間、妻は若い女のようにはしゃぐ。しかし、ふと過去の記憶が蘇ると、また苦しみと諦めを抱き、暗い話へと入っていく。そういった浮き沈みが、何度か繰り返される。やがて妻は、夫に体の代わりに金を要求する。

 妻は現在客をとって金を稼いでいるらしい。店のママには薬を勧められており、妻自身もそれを拒むことはできないだろうと夫に語る。余命わずかな夫は、実は自分はもう死んでいて、魂が体の後ろからそれを見つめているのではないかという想像を妻にもらすが、その「後ろに並ぶ」イメージは妻にとっては、自分に連なるお客たちの姿にほかならない。

 絶望的な妻の状況が際立つ中で、けたたましい非常ベルがなる。女は片目を押さえる。大きな音と共に暗転。明転後、舞台上には妻の片目を持った夫と、包帯ぐるぐる巻きの当時ーーおそらく妊娠して病院にいたころーーの妻がいる。雨は降っておらず、キラキラとした光が窓から降り注いでいる。

 そこは、妻のアパートには変わり無いのだが、水底に沈んでいるのだという。妻の体から溢れ出たらしい水に飲み込まれ、夫もなにもかも、世界は水底にあるのだ。そんな状況をみて、包帯姿の妻は少し、笑う。今、夫に持たれた片目を通して、水底から水面を見上げては、夫と、これからの展望についてぽつぽつと会話する。かすかなおかしみを妻と夫は共有する。

 

 

 

 バリバリの方言に、ボロボロのアパート、場末の夜の店、どうしようもない泥にまみれた絶望。そこに、「つくりもの」の体を表した「アンドロイド」というワードや、SF的美術・音響が並ぶ。そしてラストは、原因不明の(私は女の体からあふれた水、というのは真実だと思っているが、判断は人によるだろう)水害による大団円(?)。相入れなさそうな、SF観と薄暗い日本が、小さなアパートで見事に合致する。ワンシチュエーションであったことが嘘のように、男女の話は多くのイメージを想起させる。それらの暗いイメージが、超常的な死によってつつみこまれるのには、何か希望のようなものがあったし、悲しくもあるがほっとするものを感じた。

 超常的な話が唐突に思えないのは、語られるイメージの量が多いのと、さりげなく介入する超常的な力(例えば超能力)の存在があるからであろう。男女が現実を這いずり回っているのは確かなのだが、もしかしたらこれは死後の世界なのかもと思わせる危うさのバランスがいい。

 役者の力強さも印象的であったが、演出は少々気になる。女が語り始めるスイッチがよくわからず、唐突に病みはじめることについていけなかった。それほどまでに情緒が不安定だったのだろうとも思うが、病気レベルの鬱ならば病院で解決できないだろうかという方向に心情が傾いた(これは私だけかもしれないが、唐突であることには変わり無い)。男のほうもわりとアップダウンの激しい気性で、コロコロと変わる情動には若干引いてしまう。「絶望」の表情や仕草も、やや一辺倒か。好みの問題だと思うが、焦点を合わさないで力なく動く、というしぐさをみると、本当に絶望的状況の時こうなるのかと変な勘ぐりを始めてしまう。

 情緒の過度な不安定さは、肯定的にみることもできるにはできる。舞台上でおこったことはすべて終わった過去のできごとで、その過去の記憶が断片的に再生されている、という見方をすれば、納得の演出である。しかし、そう思うには少し無理が必要だなと感じる。

 それらを抜きにしても、アパートの一室から繰り出すイメージの圧倒的な到達点には感動せざるをえなかったし、それをアシストする美術や音響が最高の舞台であったことは確かだ。特に美術。水いらずの「星」を想起させる、シンプルであるが何にでも映る構造に本当に感心した。

 

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壁ノ花団『水いらずの星』

東京公演 2016年8月25日〜28日 こまばアゴラ劇場

伊丹公演 2016年9月2日〜4日 Al・HALL

作 松田正隆

演出 水沼健

出演 金替康博 内田淳子