読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

そよそよ族ノート

備忘録的に観劇記録を書きます

#13ホロロッカ『海に騎りゆく人びと』の内容と感想

観劇日:2016年10月2日14:00の回

上演時間 約60分

 

※ネタバレ含みます

------------------------------------------------------------

 ホロロッカという団体の劇をはじめてみる。みた理由は、原作である『Riders to the sea』(邦題が『海に騎りゆく人びと』であるようだ。にしても良い訳だな)の作者、シングについて知ってみたいと思ったことと、フライヤーをとても気に入ったこととが挙げられる。

 

 眼科画廊の広くはないギャラリースペースの中央に、小さな机が置いてある。膝くらいの高さ。上手奥に小屋——といっても手で抱えられるような小さなもの——が設置してある。中央奥に、ウォータータンク(これの正式名称がよくわかってないのだが、他に言うとしても水タンクとか、容器とか、そのような表現となる)があり、ちょっとずつ水が漏れている。その下に丸く透明な鉢が設置してあり、水はそこに垂れる。ポチャッポチャッと水の音。他にも小物がいくつか置かれていたが、把握は仕切れていないので割愛。

 照明が落ち、暗転の状態になる。薄明かりだけがついているなと思った記憶はあるのだが、確かではない。ただ暗かったという印象。黒い服をまとった役者たちが登場し、ゆっくりとした動作で定位置につく。定位置についたら明転するのかと思いきや、暗闇の中で役者たちはまた自身の立ち位置を変える。この舞台では、ある一部の場面を覗いて、全編照明はその暗さのままなのである。

 二人の役者が顔——暗闇で判別できない——の前に人形を抱える。明るい照明の下でみるのはほぼ不可能なため、細かい造形はわからないが、人形の目元は落ち窪んでいて(もしくは完全に落ちている?)、骸骨のような印象。人形を掲げながら、役者たちは演技をはじめる。しかし、セリフは棒読みというか、感情のこもっていないまさに人形のような話し方で発せられていて、一定の調子を保っている。

 物語の内容は以下のようなものである。

 

 ある島にいる姉妹が、海に出た兄の遺品らしきものを島の神父から受け取る。そんな中、残されたただ一人の男兄弟も、海に出ようとしている。姉妹たちの母は、そのことに反対している。この一家にいた男たちの命が、海によって次々と奪われているからである。しかし、その残された最後の一人の息子も、海に出るといってきかない。

 のちに、馬とともに海へ出た最後の息子は、死体となってかえってくる。海はこれ以上、私に何もできやしない、と、嘆きを通り越した静けさで母がつぶやく。

 

 以上がおおまかな内容である。このような人形劇がくりひろげられるなかで、役者(最後の息子役をやっていた方のみだったか?)は小物楽器で時折アクセント的に音を出す。また、炭酸水らしきものをガラスの器にいれ、そこへビー玉を投げ込む(投げる、というより当てていた?)という動作をする。暗闇でほとんど何をやっているかわからず、観客は音でそれらを認識する。

 照明がつく、というか、中央より上手よりに縦に設置された蛍光灯が一瞬明滅する箇所がたしか2つある(少し記憶あやふや)。ひとつめは、打ち上げられる死体や遺品から、それが誰であったかを判別することはできない、というような内容のセリフを言っていたあたりだと記憶している。「(これは、)誰?」というセリフの直後に、蛍光灯が激しく光る。姉妹が神父から渡された遺品を見るシーンは印象的である。妹は、これが兄のものであると断言するが、姉はわからないと言う。海に出て行った者は数知れず、これが兄であるとどうして断言できるか、と強い口調で言う。

 ラストシーンでも明かりがつく。最後、人形を持った役者たちは、母役の役者が発話している傍らで、そっと人形を顔の前から降ろし、パンを食べ始める。男手のない(おじさんはいたみたいだったけど)葬式で、体力をつけるために焼いた、という設定のパンである。役者たちはパンを食べながら観客がいる方向へ顔を向ける。どこかそこらあたりで、ふと地下鉄(大江戸線だったか)のアナウンスが流れ出す。数秒でそのアナウンスも消え、母役もいつのまにか人形を降ろし、そしてペットボトルに入った液体を飲む。その後、今度は明滅でなく蛍光灯がついて、役者の顔がはっきりとわかる。

 

 

 

 会場自体があまり大きくなく、そして観客の数も少なかったためか、静けさが強調されて緊張のはしる観劇だった。視覚情報が制限されるのもあり、光と音の演出が際立つ。ぼそぼそとした声が異様に目立って耳につく、という体験は今までにあまりない。ほとんどホラーである。また、暗闇は光と音の強調のためだけに存在するのではなく、暗闇の中でうっすらとみえる/みえない/みえてくるものを産む、という効果を発揮していた。

 亡霊のようにうかぶ人形が存在する舞台上は、ファンタジー上の遠い世界(もしかすると死後の世界)であるように感じられる。それが蛍光灯の明滅により、現実の、眼科画廊の一角であることがあらわになる。現実世界の電車アナウンスや、生身の役者の存在の強調によって、島の世界がいま、ここに接続される。このような解釈をすると、かなりストレートな演出にもみえてくるが、むしろストレートじゃないやり方である必要は別にないか、と妙に納得させられた。細かな音や小道具による演出が、その納得感につながる説得力を生み出していたのだと感じる。

 一番よかった場面は、母、そしてその娘の姉妹達が上手から下手にかけて斜めに並び、同じセリフをつぶやく箇所である。今まで体験してきた死体との対面について、語っている場面だ。

 母が自分の体験を淡々と語るのであるが、しばらくすると姉(を操る役者)がボソボソと何かを話し始める。この時点では何を言っているのかはわからない。その後、いつの間にか、妹(を操る役者)もボソボソと何かを話し始める。このあたりになると、姉が何を話しているのかが聞き取れるようになる。母の発言を重複しているのだ。妹もまた同じである。母と娘、という二世代にわたり、「繰り返される死と葬式」についての話がなされるのだ。まるで一家に末代までかかった呪いがあるかのように。

 「人はいずれ死ぬ」という認識はだれしもが持っているはずなのに、それが永遠に続く呪縛であることを意識させられると、あらためて恐ろしさを感じる。加えて、そのことがボソボソとしたしゃべりによって気づか「される」という発見へのプロセスには興奮した(勘のいい人は、ボソボソしゃべりの内容はすぐわかるのかもしれないし、この聴こえ方は観劇回にもよるのだろう。演出によって意識されているかは微妙である)。

 

 物語の最後、老母はもう祈らなくていいのだと、涙もながさずにつぶやく。しかし、「死」という存在が消えるわけではもちろん無い。これまであった「死」と、これからも続くであろう「死」の予感が最高に絶望的である。

 

-------------------------------------------------------

ホロロッカ『海に騎りゆく人びと』

2016年9月30日〜10月5日 新宿眼科画廊スペース0

原作 J.M.シング

上演台本・演出 塩田将也

出演 新田佑梨(ホロロッカ・無隣館) 三浦こなつ 小室愛 松崎夢乃